曲紹介の最新の記事一覧

交響曲第6番 「悲愴」

2020年1月 7日

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840-1893)は、19世紀のロシア音楽を代表する作曲家の一人です。交響曲の他、『白鳥の湖』に代表されるバレエ音楽をはじめ、耳になじみのある曲も含めて数多くの作品を残しています。また、前回の定期演奏会で幻想序曲『ロメオとジュリエット』を演奏いたしましたように、京大オケが取り上げる機会の多い作曲家の一人でもあります。今回は、そんなチャイコフスキーの最晩年の傑作である最後の交響曲、第6番「悲愴」(P...(続きを読む)

オペラ『イーゴリ公』より「だったん人の踊り」

2020年1月 2日

アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfiryevich Borodin 1833-1887)は19世紀後半にロシア国民楽派の〈5人組〉(*) の1人として活躍した作曲家です。彼は9歳から作曲やフルートなどの音楽活動を行っていましたが、学問でも才能を開花させ、化学者を生業とします。化学者である傍、自らを「日曜日の作曲家」と称して作曲活動を行い、『中央アジアの平原にて』『イーゴリ公』など数は少ないながらも東方風でアジア的要素が色濃く感じられる珠玉の傑作を生み出します。

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交響管弦楽のための音楽

2019年12月28日

「交響管弦楽のための音楽」を作曲した芥川也寸志(1925-1989)は、大正14年(1925年)、芥川龍之介の第3児としてこの世に生まれました。

偉大な父を持った息子というのは、得てして父の影が一生その背をつきまとうものですが、彼もその例に漏れませんでした。しかし、そのなかで彼は「大芸術家の息子」としての自身を直視し、自己を確立させることに成功したのでした。

「音楽はみんなのもの」

 

と、也寸志氏は語ります。この言葉が当たり前に受け入れられる...(続きを読む)

カリンニコフ 交響曲第1番ト短調

2019年6月 7日

 ヴァシリー・セルゲエヴィチ・カリンニコフ(英:Vasily Sergeyevich Kalinnikov 1866-1901)は、現在のモスクワとキエフの間にある、オリョール県ヴォイナに生まれました。貧しい家庭に育った彼は、モスクワ音楽院に入学するも学費を払えず退学になるなど、数々の苦難に見舞われました。そして最晩年には結核を発症し、35歳の誕生日を目前に控えた1901年1月11日に、その短い生涯を終えました。夭折であることから作品数も少なく、彼の作品はよく知られているとは言えませんが、...(続きを読む)

『夜想曲』より「雲」「祭り」

2019年5月30日

  クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy,1862-1918)は 19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家です。 10歳でパリ音楽院に入学し、ピアノや作曲において優秀な成績を収めました。22歳で作曲賞であるローマ大賞1位を受賞してパリ音楽院を卒業した後、彼は伝統にとらわれない音楽的手法を用いて『亜麻色の髪の乙女』『海』『喜びの島』など誰もが聴いたことのある数々の名作を生み出します。

  今回の定期演奏会で演奏する『夜想曲』は〈雲〉〈...(続きを読む)

幻想序曲『ロメオとジュリエット』

2019年5月30日

  16世紀末、イングランドの作家ウィリアム・シェイクスピアによって戯曲『ロメオとジュリエット』が書きあげられました。舞台は14世紀のイタリア、ヴェローナ。長きにわたる抗争の中にあるモンタギュー家の一人息子であるロメオとキャピレット家の一人娘であるジュリエットは禁断の恋に落ちます。僧侶ロレンスの助力を得た二人は秘匿に婚約を結びますが、キャピレット家の主君の甥を争いの中殺害してしまったロメオは、ヴェローナ追放の憂き目にあってしまいます。ジュリエットはロレンスに協力を仰ぎ、仮死の毒を使った逃亡...(続きを読む)

幻想交響曲 Op.14

2018年11月25日

ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz, 1803-1869)は19世紀フランスのロマン派音楽家です。幼少期の音楽経験は小さな田舎町でフルートなどを習った程度でした。彼は音楽の才能を認められながらも父に従い一度はパリの医学校に入学します。しかし、在学中にオペラ座に通い詰めて音楽に没頭し、ついには医学を辞めて音楽の道に進みました。その後、彼は序曲「ローマの謝肉祭」や今回の定期演奏会で演奏する「幻想交響曲」など数々の作品を生み出します。

「幻想交響曲」はベルリオー...(続きを読む)

詩曲 Op.25

2018年11月25日

エルネスト・ショーソン(Ernest Chausson, 1855-1899)は、フランスで生まれ、フランスで没した人でした。彼は内向的な性格だったものの、「神から命じられた仕事を果たすことなく死ぬのが恐ろしい」という言葉を残しており、彼が強い信念を持って作曲活動に取り組んでいた人物であることがわかります。

1855年1月、ショーソンはパリで産声を上げました。彼は恵まれた家庭環境で不自由のない生活を送りました。体が弱かったこともあり、彼は一人の家庭教師に見てもらうことになりま...(続きを読む)