この曲は、フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)が親友のヴァイオリニスト、フェルディナント・ダヴィッド(1810-1873)のために書いたコンチェルトである。当時メンデルスゾーンはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督を務めており、ダヴィッドは同団のコンサートマスターであった。構想から完成まで約6年の歳月を要し、1845年にゲヴァントハウスの演奏会で初演された。当日メンデルスゾーン自身は体調不良のため指揮台に立てなかったが、弟子のニルス・ゲーゼ(1817-1890)が代役を務め、ダヴィッドの独奏によって大成功を収めた。以降、この作品は数あるヴァイオリン協奏曲の中でも屈指の名曲として世界中で多くの聴衆に親しまれてきた。日本でも「メンコン」の愛称で広く知られている。メンデルスゾーンは実は13歳の頃にもニ短調のヴァイオリン協奏曲を書いているが、「メンコン」といえば今回演奏するホ短調の作品を指すのが通例である。
メンデルスゾーン(写真1)は19世紀ドイツ・ロマン派を代表する作曲家であり、同時に指揮者・ピアニスト・オルガニストとしても活躍した。ハンブルクの裕福で教養あるユダヤ系の家庭に生まれた彼は、12歳でゲーテと親交を持ったり、14歳でバッハの『マタイ受難曲』の写筆スコアを祖母よりクリスマスプレゼントとして贈られたりするなど、超一流の文化に触れて育った。また、10代にしてすでに『弦楽八重奏曲』(16歳)や『真夏の夜の夢』序曲(17歳)といった完成度の高い傑作を生み出した。その後は多忙な演奏活動のなか、ピアノ小品集『無言歌集』や旅の心象風景を描いた交響曲第3番『スコットランド』、第4番『イタリア』など、生涯を通じて多くの名作を残している。
また、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督として、本番の指揮のみならず演奏会の選曲から練習の指揮まで受け持ち、現代に通じる音楽監督の役割を作りだした。教育者としてもライプツィヒ音楽院を設立するなど、音楽界に多大な貢献をした。
写真1
写真2
1838年メンデルスゾーンがヴァイオリニストのダヴィッド(写真2)に宛てた手紙には次のようにある。
「次の冬にむけて君のためにヴァイオリン協奏曲を書きたいと思っている。ホ短調の楽想が思い浮かんでいて、その冒頭がどうしても頭から離れないんだ」
しかし、多忙な活動により筆は遅々として進まなかった。本格的な作曲が集中的に行われたのは、1844年フランクフルト近郊の保養地バート・ゾーデンでの滞在中のことである。夏に一度完成した楽譜がダヴィッドのもとに届けられた後、メンデルスゾーンはヴァイオリンの技巧や演奏効果について細部にわたりダヴィッドの助言を受け、翌年春の初演直前まで何度も推敲を重ねた。
本作品には作曲当時としては革新的な特徴がいくつかあり、いずれも後のコンチェルトに影響を与えた。
・全楽章の連続演奏(アタッカ):楽章間に拍手やチューニングの隙間を作らず、経過部を介して全3楽章を切れ目なく演奏する手法を採用した。これにより、作品全体の流れを滞らせることなく、ひとつの大きな物語を成している。
・冒頭の独奏提示:従来の協奏曲では、オーケストラによる長い前奏でテーマを提示した後に独奏楽器が入るのが通例だった。しかし、本作では開始わずか2秒足らずでソロヴァイオリンが哀愁を帯びた主旋律を奏で始める。これにより、聴衆を瞬時に音楽の世界へ引き込む劇的な効果を生んでいる。
・カデンツァ:通常カデンツァは楽章の終わり近くに置かれ、即興で演奏されることが多かった。しかし、メンデルスゾーンはこれを自ら作曲し、第1楽章の展開部と再現部の間に配置した。
ソナタ形式で書かれている。ちなみに初稿では “con fuoco”(火のように激しく)となっていたが、現行版では “molto appassionato”(非常に情熱的に)に変更されている。これは、メンデルスゾーンが表向きの激しさよりも、内面から湧き出る深い情熱を追い求めたからではないかと考えられる。
冒頭、弦楽器のさざめきのような分散和音に乗ってソロヴァイオリンが情熱的かつ哀愁を帯びた第1主題を歌い出す。この旋律こそが、前述の手紙にあった「ホ短調の楽想」である。その後、オーケストラとソロヴァイオリンが対話するように絡み合い、穏やかで優美なト長調の第2主題が現れる。ここで主題を先に提示するのはクラリネットとフルートであるが、これをソロヴァイオリンは面白いことにGの持続音で支え、バスとしての役割を受け持つ。その後、ソロヴァイオリンもこの美しい主題を歌い継ぐ。
やがて展開部で緊張が高まった後、カデンツァへと突入する。カデンツァの最後でソロヴァイオリンが繊細なアルペジオを繰り返すなか、オーケストラが霧の中から現れるように第1主題を再現する。この独奏と伴奏が魔法のように溶け合う瞬間に、ぜひ耳を傾けていただきたい。再現部後のコーダでは、疾走感に満ちたエネルギッシュなラストスパートがかけられる。その激流が最高潮に達して断ち切られた後、ふと我に返るようにファゴットの音が一本残り、そのまま次の楽章への架け橋となる。
ABA’ の三部形式である。第1楽章の余韻の中、緊張感を孕んだ和音の移ろいを経てハ長調に入ると、天使のような美しさを持つ主部 (A) が始まる。ソロヴァイオリンが奏でる息の長い清らかな旋律は、祈りのように優しく心に染み入る。イ短調に転じる中間部 (B) では重厚な主題とトレモロが不安や切迫感を劇的に描き出す。しかし、その嵐が去って主部が回帰する場面 (A’) では、ソロが再び主題を奏でる裏で、伴奏が中間部の名残を留めた細やかな動きをすることで滑らかな繋がりを見せる。やがて、ソロが天へと昇るような高音で余韻を残すと、最後は夢見るような静けさの彼方へと消えていく。
まずは、第2楽章から切れ目なく続く短いホ短調の序奏(Allegretto non troppo)から始まる。ここは第2楽章の中間部の主題のリズムが使われており少し切ない雰囲気を持つが、ホ長調に転じてファンファーレが鳴り響くと、世界は一変する。ここから始まる主部(Allegro molto vivace)は、ロンド形式の特徴を備えたソナタ形式のフィナーレである。メンデルスゾーンらしい、陽気で遊び心に満ちた世界が展開される。ソロヴァイオリンは広い音域を縦横無尽に駆け巡り、軽やかなスタッカートや華麗なパッセージを披露する。一方、オーケストラは各楽器が互いにフレーズを受け渡し、呼応し合う。その様子には、メンデルスゾーンの室内楽曲にも通じる緻密さと楽しさがある。終盤、ソロヴァイオリンが長いトリルを奏でる下で、オーケストラの主題が回帰しコーダへ突入する。最後は両者が一体となって一気に駆け抜け、歓喜に満ちたエンディングを迎える。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、古典派の均整のとれた形式とロマン派の美しい旋律が見事に融合した傑作である。第1楽章の哀愁、第2楽章の祈り、そして第3楽章の歓喜が途切れることなく繋がり、約30分のドラマを描き出す。この曲が200年近くにわたり愛され続けている理由は、親しみやすいメロディーの裏に卓越した構成があり、演奏家との協働によって磨き抜かれた完成度と革新的な試みが結実しているからであろう。
音楽は一期一会の芸術である。ソリストの揺れ動く感情にオーケストラがどう寄り添うか、あるいはどう仕掛けるか。その瞬間の判断と阿吽の呼吸が生み出す間合いが、作品に新たな命を吹き込む。本日は、そのような生きた音楽のドラマを心ゆくまでお楽しみいただきたい。
文責:毛利天翔 (Vn.2)