S.ラフマニノフ
交響曲第2番 ホ短調 Op.27

「しかし、理念が抽象物ではなくて、真に生きた具体的なものであり得ることこそ、ロシアという国の奇蹟なのではなかろうか。」 ―――井筒俊彦『ロシア的人間』

第1楽章の冒頭、68小節にわたる序奏は、それだけで1つの音楽としての完結力をもつ。普通は、曲を始める膳立てをするのが序奏であり、本編と地続きになる。しかし本作品の序奏は、妙だ。本編に比べてはるかに抽象的で、幕引き感すらただよう。この非連続感を、われわれはどのように捉えたら良いだろうか。

次のような対比を考えると分かりやすい。小説の「テーマ」と「登場人物」の対比だ。テーマは、理念的な関係を表す。たとえばドストエフスキーが描いた「罪と愛」の関係とは、個人の犯した罪が原罪の意識へ、そして全存在の肯定(愛)へとつながっていくものだった。そしてこれを体現するのが、具体的な登場人物たちだ。しかし、直接に体現することはできない。なぜなら、カテゴリーが違うから。彼らは自由意志をもった人間であって、理念そのものではない。ときに罪の意識に押し潰され、ときに宿命に抗いながら、自らの生を貫く。こうして登場人物たちが織りなすカオスの中から、偶然を装ってテーマは浮かび上がってくるのである。

ラフマニノフは、このテーマのほうを直接描きたかったのではないか。序奏の晦渋はこれに起因すると思われる。実際、序奏で示されるいくつものモチーフが、後に各楽章の主題に埋め込まれて登場する。自発的に展開する主題と、行く末を規定するモチーフ。随所で見られるこのせめぎ合いにこそ、本作品の魅力は見出される。紙幅の都合上、そのうち一側面にのみフォーカスして、曲の構成を追っていくことにしよう。

〇 序奏 :Largo ホ短調

冒頭、3つの動機の提示から始まる(Ex.1)。共通するのは、隣り合う2音を行き来する音型。これがリズムを変えたり上下逆さまになったりしながら、各楽章の随所に顔を出す。便宜上、「モチーフX」と呼んでおく。

Ex.1-1
Ex.1-2
Ex.1-3

モチーフXは重要な縦糸なので、少し深掘りしておこう。モチーフXの要点は、始まりの音に戻って来ないところにある。「ラソラソラ」ではなく「ラソラソ」。これによって、ある種の不均衡、落ち着かなさが生まれる。

対照的な例としてモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲や、マーラーの第3交響曲がある。Ex.2&3に明らかなように、始まりの音へ帰ってくる。すると円環が閉じるように、完結して安定する。つまり、この音型そのものから物語が進展することはない。むしろ、曲の進行の踏み台として使われるにすぎない。

Ex.2
Ex.3

これに対してモチーフXは、無限に伸びゆく半直線のようだ。その不安定さに内在して物語が発展する。そして、次の世界を切り拓く。ここにモチーフXのミソがある。余談ながら、モチーフXと同様の事例はR.シュトラウスのオーボエ協奏曲にも見られる(Ex.4)。

Ex.4

序奏は、Ex.1の動機が折り重なりながら頂点を迎える。そしてイングリッシュホルンのモノローグの後、急旋回して主部が始まる。

〇 第1楽章 :Allegro moderato ホ短調 ソナタ形式, コーダ有

モチーフXは第1主題に組み込まれて現れる(Ex.5)。姿を見せてはすぐに消えてしまう儚い主題で、喉元まで出かかっていることを口に出せない、そんなもどかしさがある。

Ex.5

展開部では、この第1主題が徹底的にパーツ分解され、ラフマニノフのロジックが光る。転機となるのは273小節目、金管楽器がモチーフXの断片を大コラールで提示する。これが2回続いた後、地鳴りのようなモチーフXが響きわたり、Allegroに復帰する。展開部がクライマックスに達したところで第1主題が回帰し、再現部。しかし、展開部の残滓・オクターヴ下降のファンファーレが居残り、消化不良。これがくすぶり続けていた第1主題の「もどかしさ」に火をつけ、破滅へと導く。極限で声の限りに叫ぶ管楽器もまた、モチーフXなのである(Ex.6)。程なく第2主題がみずみずしいホ長調で再現され、先ほどの破滅とは著しいコントラストをなす。

Ex.6
〇 第2楽章 :Allegro molto イ短調 スケルツォに相当する

「主部+中間部+主部」の三部形式だが、各部が再び三部形式をとり、精緻なシンメトリー構造をもつ。荒々しく奔放な主題に対して、モチーフXが現れるのはいつも小康状態のとき、息つぎのように顔を出す。主部と中間部それぞれについて見ていこう。

まず主部のメインテーマは、開始まもなくのホルン(Ex.7)。これはグレゴリオ聖歌の「怒りの日」をもとにしたものだ(ラフマニノフは終生このメロディーに取り憑かれ、初期から晩年まで様々な作品に引用した)。しばらくすると雄大なメロディーがヴァイオリンに現れ、澄んだハ長調が響く。まさにこの背後で、トランペットがモチーフXを歌う(Ex.8)。

Ex.7
Ex.8

中間部は、スケルツォでいう「トリオ」にあたる。弦楽器を中心に、8分音符を基調とした厳めしいフーガが展開される。非常にアグレッシブな曲想だが、やがてフーガは背景に退き、モチーフXが出現する。しかも、今度はダンスとして。楽しげで軽快なステップは奇妙なほどで、波瀾万丈のさなかに微笑むようなシュールさがある。しかし、次第に暗い影を帯びながら消えていく。そして運命の荒波に呑まれるようにして、「怒りの日」の主部が再現される。

〇 第3楽章 :Adagio イ長調 三部形式

この楽章におけるモチーフXの役割は、感情の乗り物である。冒頭、ヴァイオリンが奏でる甘美なメロディーは有名(バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番に空耳する人もいるだろう、しかも作曲年までほぼ一緒という偶然)。多幸感があまりに長く持続するので、だんだんヒーリングミュージックのように聞こえてくる。しかし冷気を当てるようにして、41小節目で突如ヴァイオリンのEx.1-③がなだれ込む。これをきっかけに内省的な雰囲気となり、自己矛盾に苦悩するかのような展開が始まる。極めつけはEx.9、ヴァイオリン&ビオラの旋律だろう。モチーフXの下降に上昇音型が割って入り、宿命に逆らうかのごとく押し上げる。克服の暁にはホルンの低音が包容力を醸し出すが、これもまたモチーフXの反転形によるものだ(Ex.10)。なお、このホルンのモチーフは、楽章末尾にも登場する。今度は弦楽器も加わって、ロシア正教の合唱のような深奥な響きがする。やがてビオラがモチーフXの尾を引きながら、静かに幕を閉じる。

Ex.9
Ex.10
〇 第4楽章 :Allegro vivace ホ長調 ロンド・ソナタ形式

「ABACABA+コーダ」という7+1部構成。しかし、「C」とコーダが大きく拡張されている。まずは、各部の主題を示しておこう(Ex.11)。

Ex.11-A
Ex.11-B
Ex.11-C

この楽章で登場するモチーフXのいちばんの特徴は、細かく切り刻まれていることだ。風が吹けば舞い上がってしまいそうな、軽やかさがある。モチーフXは紙吹雪のように「A」部分を飛びまわり、祝祭的な気分をまき散らす。うってかわって「B」部分では、短調の行進曲として変奏される。

「C」部分では、息の長い情熱的なメロディーがニ長調で続く。しかし次第に温度が下がり、第3楽章の甘美なメロディーが回帰したところで拡張開始。これまでの楽章で登場したありとあらゆる動機が一堂に会する。そして同時に、もう1人の重要人物として下降音階が現れる。いくつもの動機が矢継ぎ早に折り重なりながら、次第に下降音階が優勢となる。そして、大洪水のごとくすべてを洗い流したところで「A」部分が回帰する。この「C」部分は展開部に相当するが、本作品全体の展開部と見なすこともできるだろう。

コーダは「C」部分の逆をたどる。「C」のメロディーがホ長調で再現された後、次第に熱を帯びていく。金管楽器が「大洪水」を回想するように、上昇音階を奏でる。そして頂上に到達したところで念押しするのは、モチーフX。最後はあっさりと駆け抜ける。このあっさり感はラフマニノフの十八番で、しばしば「ラフマニノフ・エンディング」と呼ばれる。

〇初演:1908年1月26日。サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にて、ラフマニノフ自身の指揮による。セルゲイ・ラフマニノフ[1873-1943年]はロシアの作曲家。シェーンベルクやラヴェルとほぼ同年代で、この「交響曲第2番」も彼らの代表作「室内交響曲第1番」「夜のガスパール」と同時期。

    【参考文献】
  • Collins, D. L. Form, Harmony, and Tonality in S. Rakhmaninov's Three Symphonies. PhD thesis, The University of Arizona, 1988.
  • Harrison, M. Rachmaninoff: Life, Works, Recordings. Continuum, 2005.
  • Threlfall, R., & Norris, G. A Catalogue of the Compositions of S. Rachmaninoff. Scolar Press, 1982.