1747年5月、プロイセン王フリードリヒⅡ世はポツダムでJ. S. バッハと面会し、[譜例1]の主題を与えて3声と6声のフーガを即興するように求めた。 バッハはその場で3声のフーガを演奏したが、6声のフーガを即興するのは困難だったため、バッハ自ら用意した主題による6声のフーガを演奏したという。 王の主題が半音進行を多く含み、調性的に不安定なのが困難の要因である。
後日、バッハは改めて、王の主題による6声のフーガと、同じ主題を用いたいくつかの作品[1]を作曲し、 浄書した3声のフーガとともに王に献呈した。これらが今日『音楽の捧げもの』BWV1079として知られる作品群である。
このときバッハは、6声のフーガを「6声のリチェルカーレ」と題している。「リチェルカーレ」とは16〜17世紀に用いられた、 対位法による多声音楽の様式の名称で、フーガの前身とされる。リチェルカーレが複数の主題を各声部が模倣しあうのに対して、 フーガは専ら模倣されるべき主題をただ一つ持ち、また、両者の過渡期に長短の調性の枠組みが確立したため、 フーガは調性に則って展開する。バッハは、王の主題を対位法的に六つの声部で模倣しながら、同時に、主題が調性的に不安定であるにかかわらず、 フーガの要求する調性の展開を満たさなければならなかった。この困難な試みがイタリア語ricercareの「探究する」の意に適うから、 バッハは敢えて「リチェルカーレ」という古い名称を用いたのだろう。また、曲集の浄書には「Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta (王の主題とヴァリアンテを王の命によりカノンの様式で解決せられた)」というラテン語の献辞が添えられていて、頭文字をとるとRICERCARである。
上段でたびたび用いた「模倣」は、全く同じ旋律を繰り返すことのみならず、以下のような操作を伴って変形することをも指す。
バッハの作品をいくつか例にとるならば、
これらの操作は、模倣することそのものがその様式の本質であるカノンやフーガに限らず、 素材となる一つの旋律やその断片からいくつもの変奏を発想する手段として、音楽史を通して用いられてきた。 しかるに模倣されるべき主題が一つの作品に一つしかないフーガでは、どの声部も主題そのものを歌ってはいない 「嬉遊部」と呼ばれる間奏においてさえ、各声部は和声的な要素を担うほか、主題やその断片の反行/逆行/拡大・ 縮小によって変質した旋律を示さなければならない。そうであることによって一つのフーガは単一の主題に関する 有機的な統一を実現するのだが、この模倣素材の制約と同時に、各声部の旋律的独立と全体の和声的調和とを達成するのは、 非常に高度の技術を要するものである。この技術が「対位法」であり、フーガにおいてこれを大成したのが他ならぬ J. S. バッハだった。
J. S. バッハの音楽は後世もなお重要な参照対象でありつづけ、20世紀の多くの作曲家がバッハの編曲作品を残している。 指揮者としてのウェーベルンがその交響曲をしばしば取り上げたG. マーラー[2]や、ウェーベルンの作曲の師であり、 ともに20世紀の前衛音楽を牽引したA. シェーンベルクもその例に漏れない。20世紀の作曲家にとってもバッハの対位法は 重大な関心事だったのである。ウェーベルンが憧憬していたマーラーに面会したとき[3]、マーラーは対位法に関して、 「我々にとっての規範となるのは、自然だ。自然界においては、宇宙全体が、原始的細胞から、植物、動物、人間、そして、 超越的な存在である神へと発展して行く。同様に、音楽においても、大きな構造は、これから生まれるべきもの全ての萌芽を 包含する単一のモティーフから発展すべきだ」と述べ、若いウェーベルンに強い印象を与えた。また後年のウェーベルンが殊更に 『フーガの技法』BWV1080に言及しながら講演した[4]ところによると、マーラーの所謂「原始的細胞」はバッハにとっては フーガの単一の主題であり、ウェーベルン自身にとっては12音技法による音列なのだという。ウェーベルンの12音技法がいかに バッハと重なるのか、その典型的な作品である「交響曲」Op. 21の主題を詳細に分析することによって以下で確認しておきたい。
[譜例5]に示す「交響曲」Op. 21の基礎音列(P)は、その対称性において特徴的である。
Pを6音ずつで分割し、 前半をP1、後半をP2とすると、P1とP2とは対称である。すなわち、[譜例6]に示すように、P1を逆行させ(Q1)、 さらに増4度(減5度)上に平行移動させると(Q2)、P2と等しくなる。
次に、[譜例7]のようにPを2音ずつ6等分したPa、…、Pfと、Pの第11音から開始してPを反行させたI、 およびIを同様に2音ずつ6等分したIa、…、Ifを考える。
このとき、Pa=If、Pb=Ie、Pe=Ib、Pf=Iaであり、またPc=(Icの逆行)、Pd=(Idの逆行)である。それぞれの2音間に対称が見出されるだけでなく、 (a、b)と(f、e)とが対称であることによって12音全体の構造も対称である。([譜例8])
以上のP、Q、Iを基本構造として「交響曲」Op. 21は作曲されている。これらが互いに、またはそれ自身として対称であるということが、 ウェーベルンによると、この基礎音列が交響曲全体の単一の原始たりえる要因なのである。この音列の対称性を見出すために、 先に模倣の技法として見た平行/反行/逆行の操作を用いたことに注目されたい。これらの操作こそが、 対位法のバッハと12音技法のウェーベルンを引き合わせたのだと言ってもよいのかもしれない。
ところで、たとえば[譜例2]の演奏を聴いた人は、この音楽が「Aという素材をBが模倣する」ことによって成っていることをすぐに理解できるが、 「交響曲」Op. 21を初めて聴いた人のほとんどは、前段に述べた構造がこの音響体験を支えていることに気がつかないだろう。 何の食材をどう調理したか、食べても分からないが、奇妙に統一された全体というべきものを10分間味わうことになる。 これはバッハの「6声のリチェルカーレ」にも部分的に言えることであり、主題以外の5声の旋律や、 嬉遊部で反復される旋律がどのように王の主題から生じたのか、直ちには聴き取りにくい。聴衆はむしろ、 フーガ全体の調性の遷移に安心して9分間を楽しむだろう。
ウェーベルンの音楽がその音列の構造を隠す方法は様々にあるが、その一つは、複数の楽器の音色を用いたオーケストレーションにもまた、 対称性を持たせていることである。音列と音色という別の要素にそれぞれ対称性を与え、しかもその対称の閉じる小節数が互いに異なることによって 、互いの構造を覆い隠しているといえる。そしてこのような音色の配置が、「6声のリチェルカーレ」の編曲にも用いられているのである。 以下に示すのは、20世紀前半に管弦楽編曲された、いくつかのバッハ作品の編成である。
エルガー | シェーンベルク | レスピーギ | ウェーベルン | |
---|---|---|---|---|
BWV537 | BWV552 | BWV582 | BWV1079 | |
編曲年代 | 1922 | 1928 | 1930 | 1935 |
Picc., Fl. | 1, 2 | 2, 2 | 1, 3 | 0, 1 |
Ob., E.H. | 2, 1 | 2, 2 | 3, 1 | 1, 1 |
E♭Cl., Cl., B.Cl. | 0, 2, 1 | 2, 2, 2 | 0, 3, 1 | 0, 1, 1 |
Fg., C.Fg. | 2, 1 | 2, 2 | 3, 1 | 1, 0 |
Hr. | 4 | 4 | 6 | 1 |
Trp., Trb., Tub. | 3, 3, 1 | 4, 4, 1 | 4, 3, 1 | 1, 1, 0 |
Harp | 2 | 1 | 0 | 1 |
弦五部 | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ |
Timp. | ◯ | ◯ | ◯ | ◯ |
打楽器群 | Celesta | Organ |
もとオルガンのための作品であるBWV537、552、582の編曲は、20世紀の管弦楽法を用いてオルガンの音響を映すことを意図した大編成が取られている。 一方の「6声のリチェルカーレ」もまた、バッハによって楽器が指定されてはいないものの、しばしばオルガンで演奏されてきた作品であるにもかかわらず、 ウェーベルンが他と比較して小さな編成を選択し、管楽器の一つひとつの音色を対等に取り扱ったことが明らかだろう。
ウェーベルンの編曲は、「6声のリチェルカーレ」の主題に対称性を見出すところから始まる。[譜例9]のように、まず主題をⅠ〜Ⅳの四つの部分に分けるのである。
ⅡとⅢの重なる変ホ音を2回数えることによって、5音で構成される四つの部分を作る。共有された変ホ音はタイで保留されて大きなエネルギーをもち、ここを主題の結節点として対称性を見出すことができる。 外側のⅠとⅣとは跳躍進行を含んで調性を提示し、内側のⅡとⅢとは半音進行によって調性的に不安定である。次にこのⅡ、Ⅲ、Ⅳはさらに細かい動機に分けられる。 バッハの作品を各動機が判別できるように編曲するのは、シェーンベルクによるBWV552にも見られる方法で、ウェーベルンもこれに倣った。 ウェーベルンは動機を一つずつ音色の異なる管楽器に配分し、冒頭8小節は[譜例10]のようになった。金管楽器は、ミュートを使用することで音色の選択肢が増やされている。 また5小節目の変ホ音と8小節目にはハープの音色も加わる。
「6声のリチェルカーレ」では、この主題が調を変えるなどしながら12回提示される。そのたびに楽器の組み合わせも変更されるが、ごく僅かな例外を除いて、 三つの楽器が使われる順番は固定されている。その順番は[譜例11]のようであり、楽器の使われる①②③②①②③の順が、 中央の②を境に対称に並べられていることが分かるだろう。
以上のように、ウェーベルンはフーガ全体にわたってバッハの対位法を精緻に分析し、オーケストレーションを施した。 ここで見た主題以外の声部にも、主題やその断片への模倣のあり方を根拠に、それぞれ音色を割り当てている。 弦楽器のピチカートやグリッサンドも効果的である。王の主題とフーガ全体との架橋にバッハが探究した対位法的操作を、 ウェーベルンは音色配置の構造に読み替えたのである。これらの操作と構造は、なお聴衆には隠されているが、 特定の調性に終止するべきフーガへの安心をますます的確に、しかし奇妙に催すだろう。
J. S. バッハは弟子のレッスンのために書いた『2声のインベンション』の序文で、「カンタービレの奏法を習得」することが期待されると記している。 多くの美しい歌曲を残したマーラーを敬い、自らは12音技法によるドイツ語の歌曲を畢生の仕事としたウェーベルンは、 バッハのこの課題にどう答えるだろうか。ウェーベルンの編曲が、アーティキュレーションやダイナミクス、 さらにテンポなどの表記にも至るということを、最後に指摘しておこう。6声の余白に書き込まれたウェーベルンのこれらのテクストに、 バッハのフーガをいかに歌うべきかを示唆するアントン・ウェーベルンの声を、演奏者は聴くことができるかもしれない。
文責:山本大地 (Fg.3)