常識とは、それを前提していることを忘れるほどに、当たり前なものである。 たとえば、かつて人は天動説を信じて疑わなかった。現代でも、私たちは未だ に「日の出」「日の入り」と言い、天動説的な了解を抜け出していない。ましてや、 コペルニクス以前を生きた人々にとって、その前提を自覚することは極めて困 難だっただろう。
「クラシック音楽」の世界にも、そのような網膜にこびりついて離れない常識 が存在した。それが「ソナタ形式」だ。ソナタ形式とは一般に、主題①②を提 示する「提示部」、それらを加工・調理する「展開部」、もう一度①②を提示す る「再現部」からなる。クラシック作品の多くはソナタ形式で書かれ、あるいは、 ソナタ形式との関係において成り立っている。「交響曲」というジャンルも、オー ケストラのために書かれたソナタにすぎない。変形や逸脱を試みた作品は、音 楽史上たくさんあるが、いずれもソナタ形式を前提しているという点で、枠組 みの外に出たことにはならない。
この常識を、誰よりも厳しい眼差しで直視し、徹底的に問い直したのがマー ラーだった、と私は考えている。交響曲第1番は、しばしば「若書きの」「初々 しい」作品と言われる。しかし、常識に対する批判的な思考が、もっとも大胆 に結実したのがこの「1番」であり、魅力に尽きない意欲作に思えてならない。 以下の解説では、4つの楽章それぞれについて、まずは私なりの着眼点を提示し、 次にそれを、曲の流れに照らしながら見ていくことにする。
ソナタ形式で重要なのは、主題①②のコントラストである。①が質実剛健な らば②は温和に、あるいはせっかちな①に対して②は悠久。このように、2つ の主題は対比的なキャラクターをもち、曲の進行の原動力となるのが常である。
しかし、「1番」は違う。対比関係を期待していると、どこか「いびつ」な印 象をうける。その不思議ポイントは、次の2点に分けて考えることができるだ ろう。
「1番」の序奏は、単なるイントロではない。もっと根源にさかのぼった「始 まり」である。つまり、単純な素材から旋律が生み出される過程であり、言う なれば天地開闢、ビックバンだ。
素材は、四度下降の動機。完全四度、つまり半音5つ分の幅をもつ音程が、 はじめは単体で、次には連 続して提示され、さらに は、カッコウの鳴き声を模して変形される。[譜例1]
合間に、さまざまな音楽が遠くから聞えてくる。しかしやがて、チェ ロとコントラバスが、地底から湧き上がるような 半音階の動機を奏でる。[譜例2]
その渦中で、四度動機から孵化するようにして、主題①が誕生する。[譜例3]
その後、主題②も示されはするが、すぐに消滅する。しかしよく見ると、枝 葉末節が切り落とされたにすぎない。つまり、リズムとして生き残っている。 俳句の「五・七・五」のごとく、主題②は「1+1+2」の拍節でできている。[譜例4]
この助走をつけてジャンプするようなリズムが、主題①の裏で、木管楽器など に託されているのである[譜例5]。これがポイント(ア)。
提示部が一挙にクールダウンし て、静寂が訪れる。チェロのかすか な歌声によって、新主題が投入される[譜例6]。はじめは単なる「モブキャラ」のよう に見えるが、驚くべきことに、重要な案内役を果たす。これがポイント(イ)。
じきにニ長調に定まり、快活に歩み出す。ハープのアルペジオを合図に、お伽 噺の世界に吸い込まれるようにして変ニ長調に転じる。さらに変イ、ハ、ヘなど、 さまざまな調性を周遊する。
転換点は、この新主題が第2ヴァイオリンによって変ロ短調に転じるところ。 これまでの順調な歩みは失われ、また、コントラバスやトランペットが不安を 煽るようにリレーする。やがてテンポは完全に停滞し、警告音のようにトラン ペットが鳴り響く。最終的に、にっちもさっちも行かなくなり、展開部は機能 不全に陥る。
しかし、どんでん返しのファンファーレによって打破される(また しても主題①②ではない!)[譜例7]。他人任せに進んできた展開部の行き詰まりは、 部外者の「横入り」によって一掃されるのである(アドルノはこれを「突破 Durchbruch」と表現した)。これもポイント(イ)。
破壊的な解決によって、再現部が導かれる。しかしもはや、素の主題①②は 蘇らない。ダイジェスト版とも言うべき目まぐるしさをもって、ひたすらに駆 け抜ける。
ヴァイオリン・ヴィオラが大きく跳躍する。[譜例8]
第1楽章の主題①が変形されてイ長調になり、3拍子の舞曲となる。[譜例9]
つづけて「花の章」(注)の主題が折り重なる。[譜例10]
この後も、これらのモチーフ はほとんど変形されずに用いられる。重要な のはむしろ、足下のステップのリズム。[譜例11]
低弦が担うこのステップが、ますます鋭くなって展開されるという点に、第2 楽章の醍醐味はつまっている。すなわち、第2楽章はリズム展開の楽章と呼べる。
展開の構造は、下り階段である。つまり、主題が区切れるたびに、調性がパッ と2度下がる。ホルンのストップ奏法(右手を塞い で金属音を出す)を合図にホ長調から下っていくの だが、嬰ハ長調に降りたところで様相が変わる。[譜例12]
ホルンの合図に見向きもせず、コントラバスやチューバがひたすら同音を打ち込 む。成れの果てには8分音符の連打が繰り返され、狂喜乱 舞となる(余談だが、たけなわにヴァイオリンが奏でる旋 律は、『魔弾の射手』からの引用である)。[譜例13]
また、この箇所が嬰ハ長調である、という点にも面白さがある。この楽章の 主調からは遠く離れた調性である。たとえば『夜に駆ける』(YOASOBI)終盤の 2回の転調よろしく、遠隔調はふつう、スパイスとして用いられるものだ。遠 隔調はピリ辛のアクセントとして挟み込まれ、それによって主調が引き立つ。 ところが、第2楽章のこの箇所では、際限なく嬰ハ長調に引きとどめられる。 刺激の強すぎる日常は現実味を引き剥がされ、熱に浮かされたように漂う。
ホルン・ソロによって呼び込まれるトリオは、一変して和やか。ウィーン風 の優雅な踊りが始まる。主題は主に2つ。[譜例14][譜例15]
途中、寝耳に水のように転調し、主部が回想される(ここでも遠隔調!)。[譜例16]
トリオが終わると、再びホルン・ソロが主部を復活させるが、先ほど見たリズム展開はもう現れない。
一般論として、音列が右肩上がりなら気分は高揚する。たとえば「銀河鉄道 999」主題歌のどこまでも昇っていくメロディーは、宇宙を翔る汽車へのワクワ クを倍増させる。そしてもちろん、逆の場合、つまり音高が下がっていくとき には、心も沈んでいく。
第3楽章において特徴的なのは、この下降音型である。あらゆる旋律がうつ むいている。そして、伴奏には、常に葬送行進の歩みが ある[譜例17]。冷淡な歩調は、あらゆる感情を静かに包み込んで、 無化する。
なお、この楽章は断片的なキャラクターをもっているため、曲構成をあえて 図解しなかった。異質な音楽が代わる代わる現れる、カリカチュア的な雰囲気 をお楽しみいただきたい。
冒頭、歩調を担うのはミュートをつけたティンパニである。コントラバスに よって提示されるのは、短調に化けた「グーチョキパーの歌」(元はフランス民 謡らしい)。音高が上がっては落ちてくる[譜例18]。 これがカノン式(=要するに「カエルの歌」の原理)に折り重なる様は、百鬼夜行の行列を間近で 拝むような凄みがある。
その後、例外的に上昇音型がメインになるところが2箇所ある。1つ目は、小クラリネットとファゴットによっ て[譜例19]。しかし順風満帆というわけでもない。伴奏の弦楽器はコル・レーニョ 奏法(弓の反対側の木の部分を使う)でカサカサと騒いでおり、小馬鹿にした ような「空元気」感がある(実際、マーラーは譜面に「パロディを伴って」と 記している)。
他方で2つ目の箇所は、天国的な雰囲気。ハープに導かれてト長調になり、歩調は活気を帯びる[譜例20]。 そして、ミュートをつけた第1ヴァイオリンによって、浮遊感のある夢うつつの上昇旋律が語られる[譜例21]。
しかし、この幸福感も持続せず、メロディー は右肩下がりに転じる。下り終えたところで、現実を突きつけるようにしてハー プが鐘を鳴らす。
「1番」の中で、もっとも比重が大きいのがこの第4楽章である(フルスコア のページ数だけでも、半分近くを占める)。上で述べたように、第1楽章は「主 題①②の対比に基づく作曲」を放棄した。マーラーはこの積み残しをきちんと 把握しており、第4楽章で挑む。明確にコントラストをなす主題①②と、これ らの対立を解消して迎えるフィナーレ。ソナタ形式の理念は、第4楽章に至っ て初めて体現される、と言える。万事解決したように見えるがしかし、そこで 曲が終わらない。
マーラーが記したごとく、冒頭部分は「嵐のように運動して」の幕開けを見せ る。その後、オーボエ・クラリネット・ホルンが主軸となって、主題①を提示する[譜例22]。 この主題は、すでにこれまでの楽章で用いた素材から編まれている。見方によっ ては、これまでの楽章は準備期間だった、と考えることもできる。
その後、対旋律が追加されたり[譜例23]、トロンボーンと低音楽器が対決したり[譜例24]と、足し算ではなく「掛け算」的に激化する。
打って変わって、「とても歌い込んで」 と書かれた主題②はテンポダウンし、息の長いフレーズが用いられる[譜例25]。こ こには、主題①との明確な対比が見られる。
その後、トランペット&トロンボーンの号令を皮切りに、再び「嵐のような」激しさが戻ってくる。 必見なのは、主題②が合流して、曲の展開に寄与する点[譜例26]。主題の対比に基づく発展である。
そしてこの対立は、勝利のファンファーレによって止揚される[譜例27]。 トランペットとトロンボーンによって、はじめは遠くから、次には間近で盛大に。
さらに唐突な転調をはさんで高揚感を増し、四度動機が讃美歌となってフィナーレを形づくる[譜例28]。めでたし、めでたし。
しかし、これでハッピーエンドとはならない。むしろ、「ここからが本題」と 言わんばかりに、第1楽章の冒頭が回帰するのである[譜例29]。 そして、四度動機だけでなく、「突破」のファンファーレやカッコウ、半音動機、第1楽章の主題①などが、 走馬灯のようなコラージュを生み出す。この無時間的な停滞は、先ほどのフィナーレを仮初めとして否定する力をもつ。
しかしそれだけではない。ここで回帰するのは、生の素材としての四度動機だ。 曲の冒頭からずっと形を変えながら登場してきた四度動機が、ここでもう一度、 原初形態に戻る。これは、ただならぬ回帰である。思い返せば、すべての楽章 でキーパーソンとなっていたのが、この四度動機だった。これまでの譜例に ★ をつけた所は、すべて四度動機に由来する。先ほどの「仮フィナーレ」に至る まで、随所に四度動機が顔を出している(これ以外にも多くあるので、ぜひ探 してみてほしい)。交響曲を織りなす一員だったはずの四度動機が、ここでは自 らを否定するようにして、本性を現す。つまり、4つの楽章を費やして達成し たソナタ形式の理念を、内側から瓦解させているのである。四度動機は、いわ ばソナタ形式の内部に送り込まれた「トロイの木馬」だった。
このあと、もう一度「突破」を経験し、真のフィナーレが訪れる。
〇マーラー(Gustav Mahler; 1860-1911)は、ウィーンおよびニューヨークで 活躍した作曲家・指揮者。バッハの200 年後輩で、世代で言うとウェーバーの孫、 ウェーベルンの父くらい。「1番」を完成したのは28 歳のとき。今回、学生最 年長は24 歳だから、われわれの少し上の先輩が書いた曲ということになる。交 響曲のイメージが強いマーラーだが、「1番」以前の時期は、歌曲を中心にキャ リアを積んでいた。『嘆きの歌』『若き日の歌』『さすらう若人の歌』など、初期マー ラーの名作のエッセンスが「1番」には流入している。
文責:栗原正明 (Cond.7)