J.シュトラウス2世
ワルツ『ウィーンの森の物語』Op.325

§1. 作品について

 本作は、「ワルツ王」として知られるオーストリアの作曲家ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss Ⅱ 1825–1899)が、前作のポルカ『雷鳴と電光』に続き、1868年6月初めの約一週間で書き上げた演奏会用ワルツである。シュトラウス2世の「十大ワルツ」に数えられる本作は、長大な序奏とコーダを備え、交響詩的な描写性と構築性を兼ね備えている。本稿では、ウィンナ・ワルツの成立から本作の構成までを概観する。

§2. ワルツの流行

 ワルツ(Walzer、輪舞曲)は「転げまわる」という意味のドイツ語„walzen"に由来する、回転のステップを特徴とした舞踊である。その起源は18世紀末、オーストリア南アルプス地方の田舎舞踊「レントラー(Ländler)」に由来し、都会的に洗練される過程でテンポが速まり、他の民俗舞踊などと融合しながら成立した。男女が抱き合って踊るこの様式は、公序良俗を乱す下賤な庶民の踊りとみなされ、当初は貴族を含む上流階級に受け入れられなかった。そのため作曲家は内容がほとんどワルツであってもレントラー、南ドイツ舞曲など別の名前を付けていた。ちなみに、大作曲家のなかで初めてはっきりと名実ともなった「ワルツ」を作曲したのはF.シューベルト(Franz Peter Schubert 1797–1828)である。

 しかし、ナポレオン戦争後の1814年、欧州諸国の貴族が集ったウィーン会議で状況は一変する。連夜開かれた舞踏会では、ワルツは君主達が退席した深夜に演奏され、その自由闊達な踊りは熱狂的に受け入れられた。というのも、当時主流だった伝統的なメヌエットは、重いかつらを着用し、男女の接触は指先のみ、ステップも10 cmほどに限られるという、格式ばって窮屈な舞踏だったからである。

 「会議は踊る、されど進まず。」踊られていたのは、まさにワルツであった。

§3. ウィンナ・ワルツの誕生

 ハプスブルク帝国の都ウィーンは実に多くの民族が融合する「民族のるつぼ」であった。スペインの宮廷文化やイタリア音楽、ハンガリーやチェコといったドナウ諸民族の多彩な音楽と舞踊が融合しウィーンの舞踏文化は盛栄を極めた。ウィーン市民の信条はなんといっても「ゲミュートリヒカイト(Gemütlichkeit)」(心地よさ)であった。フランス革命を代表として諸外国で盛んだった革命運動には大きな興味をよせず音楽と舞踏を愛し人生を楽しんでいた。ここでは今日のクラッシック音楽とポピュラー音楽の様な明確な境界は無く真面目(Ernst)な「E音楽」と娯楽(Unterhaltung)的な「U音楽」は互いに融和していたのである。

 初期のワルツは通常16小節の短い曲を繰り返す、あるいは全く別の小ワルツをそのままつなげただけの「ワルツのくさり」と言われる簡素な形式であり、ウィーン会議後の流行の中で次第に飽きられていった。ここで革命的な影響を与えたのがC.M.ウェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber 1786–1826) による『舞踏への勧誘Op.65』であった。『舞踏への勧誘』は序奏と5つの小ワルツ、コーダからなり、また小ワルツ同士は滑らかに接続し互いに有機的なつながりを持った演奏会用ワルツであった。この形式はワルツの聴く音楽としての価値を確立し、またウィンナ・ワルツの規範となった。特にウィンナ・ワルツの創始者として知られるJ.ランナー(Joseph Lanner 1801–1843)はこの曲の冒頭を引用し同名の『舞踏への勧誘Op.7』という曲を作曲した。

 J.ランナーとヨハン・シュトラウス1世(Johann StraussⅠ 1804–1849)による「ワルツ合戦」と言われる競争の中でウィンナ・ワルツの音楽性は高まっていった。よく知られる二拍目が少し先行する独特なリズムについても、1837年のシュトラウス1世のパリへの演奏旅行においてH.ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803–1869)が彼のオーケストラの≪rare sentiment rhythmique≫(稀有なリズム感覚)を激賞している。

§4. 「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世

 1825年、「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世のもとに生まれたヨハン・シュトラウス2世であったが、強硬な父によって音楽家への道を固く禁じられていた。しかし、外で愛人をつくって遊興にふける夫への反発からか、母アンナは密かに本格的な音楽教育を施し、2世は理論的素養とともに豊かな才能を育むことができた。

 1844年、19歳でシュトラウス2世は19回ものアンコールを求められるほど大成功のデビューを果たしたが、その後は父の名声の前に苦難の日々を送る。そこで彼は、若い世代やハンガリー人、チェコ人、ポーランド人の民族性に訴えかける作品を多数生み出し、彼らを主要な聴衆として取り込み、着実に支持を広げていった。

 フランス革命にはほとんど反応を示さなかったウィーンであったが、1848年のパリ二月革命の波がヨーロッパ全域に広がると、ウィーンでも革命の気運が一気に高まった。このときシュトラウス2世は革命推進派の立場をとったため、革命鎮圧後に即位したフランツ・ヨーゼフ1世の不興を買うことになる。同時期にシュトラウス1世が亡くなり大きなライバルは消えたものの、宮廷との関係が悪化し、音楽家としての活動に制約を受けた。

 そこで彼が目を向けたのがロシアであった。パブロフスク駅に併設されたホール「音楽駅」で夏のシーズンに毎日コンサートと舞踏会を指揮するよう破格の報酬で招聘されたのである。1856年からの約10年間、彼は毎年夏季の半年間をパブロフスクで過ごし、演奏と作曲に専念した。ロシアでの年月はシュトラウス自身の音楽に大きな影響を与えただけでなく、P.I.チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840–1893)ら同時代の作曲家にも多大な刺激を与えたとされる。

§5. 作曲の経緯

 1866年、ハプスブルク帝国は支配下にあったイタリアの独立運動の高まりと、それを利用して帝国の国力を削ごうとするプロイセンの挟撃を受け、ケーニッヒグレッツの戦いで大敗を喫した。皇帝もウィーン市民も深い悲嘆に沈み、帝国がヨーロッパにおける影響力を失いつつある現実を痛感することとなった。

 二年後に書かれた『ウィーンの森の物語』は、敗北の現実から心を和らげるかのように、ウィーン郊外の平和で牧歌的な情景を描き、古き良き時代への郷愁を呼び起こして市民の心を慰めた。そこに描かれるのは、困窮する農民の生活ではなく、あくまで優美で理想化された田園風景であり、都市の聴衆が外側から眺める牧歌的世界であった。

§6. 作品の構成

・序奏

 牧歌的なホルンによる空虚5度のもとに、クラリネットの独奏が聴衆を森へ誘う。続く tutti によるファンファーレが舞踏会の始まりを知らせ、弦と木管による優美な旋回がそれに応える。チェロが主題(M2)を短く提示したのち、小鳥の声のように軽やかなフルートのカデンツァが挿入され、さらに南アルプスの伝統的撥弦楽器ツィターの独奏へとつながる(譜例1)。
 ここでは、冒頭に半音の前打音(M1)を三度鳴らして聴衆の耳を引きつけ、下降音型が郷愁へと誘い跳躍がささやかな幸福を喚起する(M2)。本演奏会では、弱音器を付けた弦楽器による小規模アンサンブルがこれを代奏する。またtuttiのファンファーレに戻り第1ワルツに入る。

譜例1

譜例1. ツィターによる独奏

・第1ワルツ ヘ長調 二部形式AB
 ツィターの半音前打音の音型を発展させたそよ風のような旋律A(譜例2)に、口笛と笑い声のようなBが続く。まさにゲミュートリヒカイトの体現である。

譜例2

譜例2. 第1ワルツの A部の旋律。M1が共通している

・第2ワルツ 変ロ長調 二部形式AB

 A部はツィターの旋律(M2)が再帰しまた郷愁へと誘い、激しい上行の後これまた半音前打音(M1)を発展させたBが懐かしさの中に晴れやかな喜びをのぞかせる(譜例3)。

譜例3

譜例3. 第2ワルツ B部。またもや M1が共通している

・第3ワルツ 変ホ長調 三部形式ABA

 シンプルで少ない動きの愛らしいAは朴訥で純粋であり、跳躍と動きを増したBは駆け回る少年少女のようである。

・第4ワルツ 変ロ長調 二部形式AB

 A部はM2からの発展で、小太鼓の打撃により跳躍はさらに勢いづき、短いトリルを伴ったおどけた調子のBが続く。

・第5ワルツ 変ホ長調 三部形式ABA

 序奏のファンファーレを変形したヘミオラのリズムのAがほのかに懐かしさへと駆り立て、ホルンによる壮健な旋律Bが美しい思い出を抱擁する。

・コーダ

 第4ワルツA、第3ワルツA、第1ワルツAの順に、これまでの小ワルツを振り返るように回想していく。第2ワルツBの音型が繰り返されるなかで半音ずつ上昇し、第4ワルツBの音型が短く挟まると、音楽はクライマックスへと向かう。 第5ワルツBの旋律が高らかに歌われたのち、ツィターの独奏が名残惜しむように再帰する。続いて第3ワルツBの音型が四小節だけ挟まり、最後にヘ長調の主和音が四度繰り返されて終結する。

文責:池田彩太(Va.2)

    【参考文献】
  • Berlioz, H. (1837, November 10). Concerts de M. Strauss. Journal des Débats.
    Retrieved from http://www.hberlioz.com/feuilletons/debats371110.htm
  • 加藤雅彦(2003)『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会
  • 木村重雄(1959)『名曲解説全集 第3巻』音楽之友社, pp.330–333
  • 小宮正安(2000)『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』中公新書