総務: 今回、京大オケの指揮を引き受けていただきましたが、10年ぶりにお引き受けくださった理由と、その時のお気持ちについてお聞かせください。
円光寺先生: 逆に、どうして10年ぶりに頼んできたの?
総務: 団の資料に過去に呼んだ客演指揮者についての記録があるのですが、円光寺先生については「これまで何度も共演していて、学生に対する理解もあり、京大オケのことを好いてくださっている」と書かれていたので、これはお呼びするしかないなと思いました。
円光寺先生: 正直、10年も間が空いたから、もうないと思っていました。おっしゃる通り、もう本番を13回やっているんですね。自分でパソコンに記録をつけているのですが、1997年が1回目で、そのさらに何十年か前に、尾高先生が「悲愴」をやった時の練習指揮で1回か2回だけ来ているんですよね。尾高先生の「悲愴」は何年でしたっけ?
総務: 1979年ですね。
円光寺先生: その時は古くてガラスがビリビリ言うような講堂で練習したのを覚えています(笑)。
学生指揮者(以下、学指揮と表記): その時のオケの印象などは覚えていらっしゃいますか?
円光寺先生: いや、もうちょっと忘れましたね、私も20歳ぐらいでしたし。指揮科のバイトが解禁になる歳で、それで尾高先生に「ちょっと行ってきなさい」と言われて(笑)。
学指揮: 円光寺先生が、将来指揮者になろうと志されたのはいつ頃のことだったのでしょうか。
円光寺先生: 物心がつく前からピアノをやっていて、桐朋の偉い先生に習っていたのですが、その先生が桐朋のオーケストラの切符をくださったんです。「これを見に行ってみたら」と。その演奏会が、当時大学生だった尾高忠明さんと井上道義さんがちょうどデビューする舞台でした。当時小学生で、ひたすら1人でピアノを練習していた私は、それを見て「かっこいいな、みんな集まって楽しそうにやっているな」と思って、「僕、あっちになりたい」とピアノの先生に言って斎藤秀雄先生を紹介してもらいました。そこで、中学1年から指揮の勉強を始め、中学3年の時にピアノ科をやめて指揮科に入ることを決めました。やめる際に「思い出作りにコンクールを受けてみたら?」と言われ、ピアノの学生コンクールを受けたところ、東日本で一等を取ることができたんです。
学指揮: 思い出作りで一等とは、すごすぎますね!(笑)
円光寺先生: その後、高校で桐朋に入ったのですが、高校には指揮科がなかったので、作曲科と楽理と指揮科が一緒になっている「理論科」というものに入りました。そして、斎藤先生に会いに行ったら、いきなり「指揮者になれると思うな」みたいに言われてしまって。これから指揮を習おうという高校1年生に対してですよ!(笑)「今まで大学で指揮科に入れたのは、小澤(征爾)、秋山(和慶)、飯守(泰次郎)、尾高(忠明)、井上(道義)の5人しかいない。だから君は多分入れないだろうから、何か手に職をつけなさい」と。そこで、「私、一応ピアノは弾けるんですけど」と言ったら、「いや、オーケストラの楽器が1つ必要だ」と言われて、コントラバスを始めさせられました。大友直人さんに後で聞いた話によると、その時桐朋のオケに少なかった楽器を強制的にやらせていたらしいんですよ(笑)。
学指揮: コントラバスは少なかったんですか?
円光寺先生: 少なかったですね(笑)。理論科では、ピアノはもちろん弾けないといけなくて、スコアリーディングや作曲科の勉強も必要でしたし、聴音、ソルフェージュもとても厳しかったです。月曜日から土曜日まではこういった基礎的な勉強をみっちりと叩き込まれて、日曜日になってやっとピアノ2台の前で指揮科のレッスンが受けられるんです。朝から晩まで斎藤先生が何人もの学生に続けてレッスンされるのですが、その合間に「3時のお茶の時間」という、みんなでジュースを飲みながら先生のお話を聞く時間がありました。ある日、斎藤先生から「小澤とかがどうしてあそこまで偉くなったか分かるか?」と問われ、「いえ、分かりません」と答えると、先生は「彼らは偉くなりたいという思いがとても強いんだ。それで、偉くなりたいやつは偉くなりたい人生を歩んで、最後には偉くなる。有名になりたいやつはそういう道を歩んで、最後有名になる。勲章が欲しいやつはそういう人生を歩むんだ」とおっしゃいました。何事も最初から明確に目指さなければ、成し遂げることはできないという、ありがたいお話でした。
その後、卒業後にウィーンへ留学し、東京フィルの副指揮者になったのですが、その東京フィルの当時楽団長だった青島さんという方が、私がデビューした時に色紙を書いてくれたのです。そこには「ただ音楽あるのみ」と書いてありました。当時の私には、その言葉の真意がすぐには理解できなかったのですが、その後指揮者として経験を重ねるにつれ、いろんなことがあって、最初音楽を好きで始めたことをどんどん忘れていって、そして壁にぶつかったときなどにその色紙を見て「あ、これか」と理解したのです。やはり指揮者の世界には、ある種の国取り合戦のような面があるじゃないですか。それにばかり躍起になってしまうと、音楽の勉強が段々おろそかになり、金儲けや立身出世の方に気が向いてしまうから、青島さんは若い僕にそう言ってくれたんだと思います。「音楽が一番大事なんだよ」ということを20代の頃に言ってもらえたことは、自分にとってすごく大きかったと思います。
学指揮: 私たちはアマチュアで、だからこそ音楽を愛する純粋な力で演奏できるという強みがあると思っています。特にお金を稼ぐということでもなく、ただ音楽が好きだからオーケストラ活動をやっているのですが、それでもたまにそのことを忘れかけていることがあるんです。
円光寺先生: やはり活動する上で、ホールを借りるのにもお金がかかったりと大変なこともありますからね。みんなが一生懸命やろうとすると、人間関係もギスギスしてきますし。それはそれとして対処しなければなりませんが、やはり最終的に立ち返るのは「ただ音楽あるのみ」だと思います。音楽は趣味でやるのが一番いいと思いますよ、純粋で(笑)。
総務: 「悲愴」の魅力を教えていただきたいです。
円光寺先生: やはり音楽が深いですよね。チャイコフスキーには名曲が数多くあり、素晴らしいバレエ音楽もあります。交響曲も4番、5番、6番とますます深みを増していくと感じますが、何回か本番をやっているうちに、本当に魂を揺さぶられる曲だなという思いが強くなり、今回「悲愴」を選びました。指揮者をやっていると、例えば「シューベルト全曲をやりたい」とか、「ベートーヴェン全集に挑戦したい」といった気持ちに徐々になっていく傾向もありますが、私はあまりそういった方向には行かないですね。そんなに手を広げるぐらいだったら、少ない曲を深くやりたいと思っています。なので、チャイコフスキーでもやはり交響曲なら4・5・6番でいいのでは、と思ってしまいます。もちろん1番も2番もやったことはあるのですが(笑)。しかし、その中でもやはり「悲愴」だよね、と思うくらい、深く取り組みたいと思わせる魅力がある曲だと思います。
総務: 「未完成」はオーケストラの定番レパートリーと言っても過言ではありませんが、古今東西の交響曲、またシューベルトの作品の中でも特異な存在であるように思います。先生はこの交響曲、またシューベルトという作曲家にどのような印象をお持ちでしょうか。
円光寺先生: この曲は未完成だから30分で収まっていますけど、もし完成していたら1時間を超えていたでしょうね(笑)。やはりシューベルトは音楽が好きで、綺麗なメロディでいいなあという思いがすごく溢れています。取り止めがないと言えばないので、なんというか、ずっと綺麗な音が流れている、というような印象です。ベートーヴェンなどは「これがこうなって、だからこうなる」というような構成ですが、それに比べると「これが綺麗だな、幸せだな」というものが続いていくのがシューベルトなのかなと思います。
総務: 「ウィーンの森の物語」についてですが、先生はウィンナー・ワルツという音楽とどのように向き合っていらっしゃいますでしょうか。
円光寺先生: ウィーンには留学したことがありますが、やはり独特な町で、とてもプライドがあると感じました。ウィーン・フィルはブラームスやマーラーといった巨匠が指揮を振ったことがありますし、ヴァイオリンの奏法は何百年もの間、先生から弟子へ、さらにその弟子へと伝わっています。一般市民もやはり音楽好きで、音楽を味わってワルツを踊りたいという気持ちをとても感じました。ただ、ウィンナー・ワルツはその何百年もの歴史があってこそなので、日本人が演奏するにはやはり難しい部分も多いですね。ウィーンの人は、もう生活の中にワルツが入っていて、それを何百年も続けているわけですから。よく飽きないなと思うぐらいウィーン・フィルも演奏していますよね。他にもオーケストラがたくさんあって、例えばフォルクスオーパー(ウィーンにある歌劇場の1つ)のオーケストラだと、オペレッタばかりを演奏していますが、それがまたウィーン・フィルとは違う味わいのワルツでいいんですよ。子供の頃からダンス学校に通い、二十歳になる時に「デビュタント」と言って社交界にデビューする。ハンサムな男性と美女が並んで、何百人もの人が踊るという文化をテレビなどで見ていると、改めてすごい世界だと感じます。あの町は、単に歴史があって独特な文化があるというだけではありません。音楽が盛んなウィーンの中で、生まれた時からウィンナー・ワルツが体に入っているんです。日本人に「少し三拍子を歪ませて」と口で説明しても、どうしても不自然になってしまいますよね。
学指揮: そうですね。練習には本当に苦労しています。理論ではないので、「とにかく考えるな、感じろ」という話になります。時には口で説明するしかないのですが、どうしても不自然になってしまいます。
円光寺先生: それは仕方ないですよ。やはり日本人は農耕民族で「よっこらせ、よっこらせ」と2拍子であるのに対して、ヨーロッパ人は馬のギャロップのような3拍子が身体に入っているのです。そういう意味では、今回の曲はとても勉強になると思います。半分ウィーン人になれるといいですね。
総務: 京大オケにどのような印象をお持ちでしょうか。
円光寺先生: やはり、みんな音楽が好きなんだなと思いますね。私は昔からこのオケが大好きで、十数回共演していますが、毎回いい思い出で終わっています。ただ、昔はやはり「先輩が後輩に対してすごく厳しい態度だった」というのは、横で見ていても感じましたね。今はもうそういう時代ではないから。
学指揮: そうですね。時代は変わっていますが、僕らとしても、伝統を繋いでいくために基礎固めはしっかり行っていきたいという気持ちはずっとありまして……。
円光寺先生: やはり歴史がどこかで途切れないようにしないといけないですね。本当に技術のある人だけを集めても、絶対にいい音はしないですからね。歴史が大事で、「同じ釜の飯を何年食っているか」ということが、アンサンブルにおいてはすごく大事です。
学指揮: 大学オケは団員の入れ替わりがあって、大学を卒業したらいなくなってしまいます。普通のプロに比べると、団員の入れ替わりがとても早いんですよね。その中で、ずっと続いていくものというのは、見えにくい部分もあると思うんです。
円光寺先生: だから、上回生の存在が大きかったのでしょうね。7回生、8回生が一応繋いでいたのですかね。最近はみんなすぐ卒業してしまうのかな。
総務: 中にはまだ、7回生や8回生で、普段練習所で練習しているとふらっと寄ってきて、「こうした方がいいよ」とアドバイスをくれる先輩もいます。
円光寺先生: いるんだ(笑)。でも、そういう人は交友関係が広いから、同級生がたくさんいるわけでしょ?友達が多いということは、今後の人生にも生きるかもしれないですね。
総務: ご来場くださるお客様、配信の視聴者様へメッセージをお願いいたします。
円光寺先生: 「悲愴」では、魂を揺さぶるような深い演奏を目指します。それから、シューベルトの綺麗なメロディーを味わってほしいです。そして、音楽の本場であるウィーンのワルツ、どこまでできるか分かりませんが、「頑張ります!」っていう感じですね。
左から順に学生指揮者、円光寺先生、総務